やりきれない、というのが今の気持ち。

なぜあんなにも自由を奪われなければならないんだろう、と。いったいあの人にどんな罪があって、どんな理由で拘束されなければならないんだろう、と。ずっと思わずにはいられないのです。

最初の行為からすでに常軌を逸していました。しかしその後も行為はエスカレートし、何もかもが監視下に置かれてしまったのです。良識を持った人なら思いもよらない方法で、あの人の自由は奪われていきます。やっていることは十分すぎるほどにも立派な犯罪なのに、それを公にしづらい近すぎる距離。そばにいてやれない悔しさと、いたとして何をしてやれるだろうという自分への問い。すぐにでもあの人をその場所から奪い去ってゆきたい、と毎日思うばかりです。

思えばいくつの罪を作ったことでしょう。一つ、二つ、三つ、四つは最低でもあるのではないでしょうか。人の自由を奪うという行為は何事にも代えられない大きな罪だと、もっと自覚すべきなのです。江戸時代ならば切腹して死を以って償うほどの重罪なのです。甘すぎます。

昨今の若年者には良心のための教育がなされていない、と憂います。人はいつから善悪の区別ができなくなったのでしょうか。学校で道徳の時間がなくなったというのも記憶に新しいのですが、いったい誰が正義を教え、誰が身に着けた力の使い方を教えてあげられるのでしょうか。いくら勉強して知力を身に着けたとして、それを正しい方向に使うのは人間の義務であると思います。誤った方向に使うのなら、何も勉強などしなくていいのです。

追い詰められた人は自分を捨てることで現実から逃れようとします。そうなる前に救いの手を入れなければ手遅れなのです。しかしそうできない現実があることも確かで、誰かに言うべきなのはわかっている。でもそれをできないという心の葛藤が、さらに自分を追い詰めていくのです。

周りが大事 (おおごと) になってしまうのはわかります。しかし、それは一種の甘えで、誰もが悪だと認める行為を助長させることになってしまうことも、忘れてはなりません。その人の人生を台無しにしてしまう、という思いより、まずは自分の人生が台無しにされかけているという現状を重く受け取るべきなのです。そして、それを遠くから見守ることしかできない人の心の中をも (むしば) んでいるということ、大いなる心労を伴っているということも肝に銘じ、弱気にならず、悪いことは悪いこととし、断固として抑制していくべきだと思います。

この世の中は、悪いことが許される世の中にしてはいけないのです。悪いことを許さず、正しいことを認めてあげられる、そんな世の中にしていきましょう。

いつも思うことは、あの人に本当の平穏が訪れますように、ということです。

こういうことを書く気になったのは、ひと晩に悪夢を 4 つも 5 つもオムニバス形式で見てしまったからなのです。登場人物がほとんど変わらない、とても現実じみた内容だったのです。こんな夢を見てしまうなんて、疲れているのかな……。♪

どうか、正夢にはなりませんように。♪

2007年10月07日 日曜日 10時50分

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