答えが存在するということが明らかなとき、それを求めるのに手っ取り早い方法は、その答えを知っている誰かに訊けばいいんです。逆に、答えの存在が確かでないとき、それはひたすら自分との闘いになることが多いです。どこで妥協するのか、それが重要になってきます。ひょっとしたら妥協せずに答えを見つけられるかもしれない。それは円周率を求めているようなものです。
たとえば答えの存在が確かでないものを探る学問を哲学といったりしますね。多分、身の回りにありふれている哲学は恋や愛なのです。つまり、人の心なのです。心なんてものに答えを見つけようとしているのが、哲学者なんじゃないかと思うのです。